魔法科高校の劣等生について

魔法科高校の劣等生はただの俺tueee系」というのは間違いである。
 
司波深雪は天使である」
 この言葉を見て、オタクが興奮しているなと思った人は魔法科高校の劣等生という作品の本質を見誤っているのではないだろうか。
 司波深雪は神としての絶対性を備えている。どれほどの時が経とうとも、どのようなことが起こっても深雪は達也を想っている。これは決して変わらない。絶対性を持っている司波深雪
 そして達也は最強であると定義されている。その点においてはtueeeとも言えるのだが、この作品の本題は最強であるがゆえにどのような形でも他者を遠ざけてしまう達也、絶対に離れない深雪という二人だけの孤立の物語であると感じる。
 強大すぎる力は達也を四葉で孤立させ、魔法師コミュニティの中からも追いやる。さらに達也その能力を発揮する度に、魔法師という人種が人間の中から孤立していく。
 達也の性格ならば、深雪以外の人間が達也から離れ、孤独になることを何とも思わないだろう。深雪も達也と二人でいることを苦にしないだろう。だが、孤立する方向に進んでいく達也を見ることには耐えられないのではないだろうか。そのような考えが頭の中を巡って離れないせいで、作品を読む度に彼らの未来を考えてしまう。
 そんなことは杞憂で作品は全く別の道に進むのかもしれないが、私の中にそれを否定する材料が無い。
 
 ごにょごにょと書いたが、魔法科高校の劣等生とは最強の力を持ってしまうことの負の側面を描いた作品ではないだろうか。達也は世界最強の力を持って生まれ、その力を振るい続けて孤立させるために作品設定上で感情を消された。しかしただ孤立するのではなく、そこに深雪さんがいるという救いがある。そんな作品。
 
 
 
 最後に、魔法科高校の劣等生のあり得るかもしれない設定を考えてみた。
 
1.十文字アリサはトゥマーン・ボンバが使える
 十文字アリサの母はダリヤ・アンドレエヴナ・イヴァノヴァ。そう、アンドレエヴナと言えばベゾブラゾフがトゥマーン・ボンバを発動する際に使用した外部端末。本来は無菌室から出ることができないはずだが、トゥマーン・ボンバの発動をアシストすることもできない素体は魔法力と引き換えに無菌室から出ることができるのではないか。
 
2.リーナは調整体魔法師
 作中で周囲が息をのむほどに容姿が整っていると言及されているのはリーナ・深雪・光宣の3人。この中で光宣と深雪は調整体であることが作中で確定している。3人中2人が調整体であるならば、リーナもそうではないかと疑ってしまう。
 基本的にある人の魔法力はその血族を見れば推定できる。例えば四葉家は魔法力の強い遺伝子が一族の中で受け継がれているため、どの人物をとっても優れた魔法師である。
 一方で九島家は烈と光宣を除いて他の家と比べて魔法力に秀でた者はいない。その烈も後天的に魔法力を強化しているため、遺伝的に高い魔法力を有しているとは言えない。また、光宣も調整の結果として強い魔法力を手に入れており、遺伝的に強いとは言えない。
 よって九島家の血が強い魔法師を作ることは不可能に近い。
 リーナことアンジェリーナ・クドウ・シールズは九島家の血縁者である。普通に考えると九島の血だけで米軍最強の魔法師になるのは不自然である。九島にシリウスを生み出す遺伝子が無い以上、リーナも遺伝子を調整されたと考える方が自然ではないだろうか。
 

宝くじ

 

「ギャンブルをする人はバカだ」

 

 多くの人が思っていることだと思う。実際、私も思う。

 

 その理屈としては、期待値が掛け金を下回っているのだから短期的に勝つことはあっても、長期的にみたら必ず負けるというものだ。

 

 それは宝くじにも言えるのだが、宝くじを買うことはギャンブルをすることと違うのではないだろうかと思い、今回の話を書くに至った。

 

 突然だが、ロシアンルーレットに似たゲームを考えてほしい。
 ここに弾が100発入るリボルバーがあるとしよう。当たりは1発だけ。シリンダーを回転させたら、あなたは1発だけ自分に向けて撃つ。

 

 空砲なら凄まじいお金がもらえる。弾が出たら死ぬ。

 

 

 

 資本主義においてはどんなものもお金で表すことができる。


 人の命も。

 

 ここではあなたの命の価値が1億円であるとしよう。
 そして先ほどのギャンブルで空砲なら1000万円がもらえる。これならこのギャンブルの期待値は大きくプラスに傾いている。

 

そうであるならば、あなたはこのギャンブルをするだろうか?

 

 もしやると答える人がいるならば聞きたい。
 空砲ならば10億円がもらえるかわりに、2発しか装填できないリボルバーを用いるとしても。

 

 正直、蛇喰夢子以外の人はこのギャンブルをやらないと思う。
 そう、期待値がプラスでもやらないギャンブルはあるのだ。ならば期待値がマイナスでもやるギャンブルがあってもおかしくないのではないだろうか。

 

 というわけで宝くじの話に戻ってくる。宝くじは買うごとに損をする。だがしかし、1等を当てれば人生があがりになるお金が手に入る。普通に過ごす分には働かずとも一生困らない。あなたの人生の残り時間は全て自由時間だ。だから宝くじはロシアンルーレットの正反対のギャンブルなのである。


 当たったら死ぬのか、当たったらあがるのか。

 


 やれば得するロシアンルーレットをやらないのならば、正反対の宝くじをやることも何らおかしくないのではないだろうか。

 


 
当たっても人生があがれないギャンブルをするのは擁護できないバカ。

エロゲのすすめ

前回、ラノベは完結まで時間がかかるから嫌だと言ったけど、そのラノベの弱点を克服していると個人的に思っているものがある。それがエロゲ。

前回の話はエロゲに話を持っていくためのもの。

具体的にエロゲがラノベに比べて優れていると思う点は
1.発売時点で物語が完結している
2.ヒロインのエッチな姿が見られる、エッチな声を聞ける
3.分岐がある

具体的に説明していくと、

1.発売時点で物語が完結している

これは、エロゲは基本的に一つのパッケージで物語が完結しているため、ラノベと異なりいつまでも先を気にしてヤキモキしないでよいということである。正直これが一番大きい。(少ないけれど一つの大きな物語が複数作品に別れて収録されている物もあるが)

物語が完結しているため、熱中した勢いのまま、最後まで駆け抜けることができるのがエロゲの最大の長所だろう。

2.ヒロインのエッチな姿が見られる、エッチな声を聞ける

これについては書いてある通り、ラノベではヒロインはせいぜい下着姿だがエロゲだと下着の中まで見れる。しかも声付きで。

3.分岐がある

これは、ラノベだと分岐がないため必ず不遇なヒロインが出てきてしまうが、エロゲだとラノベに比べて比較的不遇なヒロインが発生しない。これはノベルゲーム特有の「分岐」がもたらすものであり、これによって様々なヒロインと恋人になったときの物語を楽しむことができる。ラノベでは最終的に作者が選択した一人だけが主人公の隣を確保し、他のヒロインは負けるわけだが、エロゲなら別の世界をみることができるのだ。

 

このような点から、ラノベに不満がある人にはエロゲを勧めてみたい。

ラノベの嫌なところ

ライトノベルってなかなか完結しないんだよね。人気タイトルとかだと平気で6年とか経っても新刊が出続ける。

たしかに長い間物語を楽しむことができるとも言えるけど、ラノベ販売の性質上4か月に1冊程度のペースでしか新刊が出ないため、その間に熱が冷めちゃう。

例えば10巻まで発売されてる物語に興味を持って1巻を買い、面白いと思って最新刊まで一気に買って読むと一時的にとても夢中になって、四六時中その物語について考えちゃう。でも新刊は当分出ないわけだから最初のころは先が気になってもどかしいく、その後は段々と冷めていっちゃう。

また、有名作ならしっかり完結までいくけど、そこまで有名でないと打ち切りもある。

これがラノベの嫌なところ。

これを回避するには既に完結している作品を買うしかないのが悩みの種。

合理的であることに疲れた

合理的であることに疲れた。

目的地に行くにしても最短経路。何をするにも最小限。遊びは無い。

一時期、狂ったように合理性を追求してたけど疲れた。

 

人間的じゃない気がした。幸せじゃない気がした。

 

だから無駄なことを沢山しようと思う。

これこそが幸せだと思う。

性欲っておもしろいよね

三大欲求って言うと、どれも同じ価値のように聞こえる。

でも性欲が無くても私は死なない。睡眠と食事は必須なのに。

 

性欲は他の欲求より高次なのか低次なのか。

性欲は満たされなくても個は生きていける。

ならば「性欲は満たされなくてもよい」って言いだす人がいそう。満たされなくても生きていけるんだし。

 

ディストピア

司波深雪に恋をした

司波深雪ってかわいいよね。

肌が雪のように白くて、全てが左右対称で。

 

でもなによりお兄様が好きという絶対に変わらない信念を持っているところが何よりも魅力的にみえる。

 

絶対に変わらないって美しい。移り行くものの一瞬よりも変わらないものの方が素晴らしいのではないか。