私は初音ミクが好きだ。
好きになって8年くらいたっている。
初めて知ったときは毎日新しい曲を探していた。
初音ミクを知って数ヶ月たつとあまり開拓はしなくなったが、好きになった曲は毎日のように聴いていた。
それが数年続いた。
初音ミクへの愛が大きくなることはなかったが、小さくなることもなかった。
この時は絶対に初音ミクに飽きることはないと思っていた。
そんな中私はマジカルミライという初音ミクのライブに初めて行った。
そのライブは私にひと時の非日常を提供してくれて、初音ミクへの愛に波を作った。
ライブのあとは最初のころ以上に毎日新しい曲を探し、初音ミクというコンテンツへの愛が最高潮に達していた。
しかしライブから時間が経過し、現実に戻された私は当然のように愛が冷め、新曲を漁らなくなっていった。
それもそのはず、ライブという非日常によって一時的に愛が大きくなったものの、ずっと続くわけではないのでライブの前の頃に戻っていくはずだ。
しかし元に戻るはずなのに、愛が冷めていく過程で「愛が冷める自分」を認識してしまいライブ以前よりも愛が冷めてしまった。
その結果、ライブの日を最高点に初音ミクに対する感情が上下してしまっている。ライブ直後は最も昂り、ライブ直前は最も冷めている。私は一年の中でここまで感情が大きく動いていることが苦しい。
毎回ライブ後は行ってよかったという気持ちでいっぱいになるが、逆に前日はめんどくさい気持ちでいっぱいになっている。
今はチケット申し込みの時点では行きたいという気持ちがあるためライブに通っているものの、いつか行かなくなってしまいそうだ。
ここまで考えたときに、ライブに行くことが無ければ、初音ミクへの愛は永遠に続いたのかと考えてしまったことが怖かった。
昔はボカロを聴くだけで愛が続いたのに、今は続かない。
それはより大きなボカロにおける楽しみを知ってしまったから。
大きな楽しみは魅力的だけれども、副作用のように付随する苦しさがあるのならば小さな楽しさを味わい続けていくほうがいいのかもしれない。